10 Years

人を育てるというのは難しい。みんなそういうけど、やはりそうだ。

 

特に難しいのは、“見込みがなさそうな人”を育てなければいけないとき。しかし、どうだろう。優秀で、自走できる人ばかりの組織とは限らないし、たとえそうだとしても病気やけがでチームから突然抜けることだってある。そうなったとき、“うまくいっている”場所でしか働けない、力が発揮できない人では困る。自分自身が特にそう。

 

慣れて、うまくいっているかのように見える自分だって、知らないことや未経験のことはたくさんある。外部要因だってある。うまくいくとは限らない。自信なんかこれっぽっちもなかったのに、いつしか強気な言葉を話すようになる。

 

ビジネスの場は戦場だというけれど、助けて、助けられて、やっていくしかない。

 

誰かを育てる立場になったとき、それは過去の自分を作ってくれた人への恩返しと、自分がしてもらえなかったけれどしてもらいたかったこと、かけてほしかった言葉を、その場にいなかった別の誰かに与えるという意味もあることを知った。

 

働き始めてもうすぐ丸10年。自分が社会に出ている意味がこういうときにぐっとズームアップされて、クリアに見えてくるのが最近とても面白かったりする。

 

Written by M

no music no life

幼い頃から大好きな音楽にドビュッシーの月の光がある。心地よい不協和音に軽やかさとシャープさを感じて、頭が混乱してる時や、落ち着きたい時なんかによく聴いてる。


34年という年月を自分という1人の人間と日々向き合うなかで少しづつ好きなこと、苦手なこと、 興味や、自分の傾向なんかがわかるようになってきた。


強くならないとっと、頑張り過ぎていた10代から20代、なんとなく曲の中盤の盛り上がりに似ている気がする。協和する必要なんか全然ないっと


あともう一曲よく聴いてるのが映画:菊次郎の夏のsummer。映画は観たことなくて、正直に観る予定もない。っというのも、音楽だけ聴いて勝手に作った世界観が変わる気がして。

 

どちらの音楽も、あんまり深く物事を考えず、まっすぐだった頃を思い出させてくれる。


一周回ってなりたい自分ってその時の自分なのかなっと考えながら自宅までの帰路をいつもの好きな音楽を聴きながら帰る日も悪くないよね。

 

No Place Like

 東京にやってきて何年目かの誕生日に、家族からメールが来た。

 

「いまあなたの周りにいるのはたったひとりで東京に出て行って出会った人たちなんだよね。そう思うとすごいことだよね」

 

 実をいうとぼくはどうしても東京に出てきたかった人ではないので、この街に夢を抱いては特段いなかったのだけど、暮らしてみると、それまで生まれ故郷でいつもやってきた、今いる場所と違う場所を思い描きながら日々を生きる、という歪んだ自己防衛本能のような技術が要らないことに気づいて(別名:部屋にポスターを貼らなくても生きていける理論。この話はまた別途)、東京が自分に合っているかもしれないと思うようになった。

 

 人間の感情は不思議なもので、comfortableな状態に気づきにくい。フラットな状態を当たり前だと思い、痛みが出て初めて何かがおかしいと騒ぎ始める(pain is the warning that something’s wrong)。

 

 だから、普段生きていてほかの場所へ行きたい、逃げ出したいと思わない場所というのはぼくにとってはある程度生きやすい場所なのだというのは今まで生きてきた中でわかったことのひとつ。

 

 とってもひねくれた控えめな、この街が大好きだなあと思うのは、“なんとも思わない”状態で毎日を生きていることに気づくときだったりする。

Affirmative

同様に好きな言葉ではじめようと思う。

 

僕の好きな言葉にaffirmationって言葉がある。好きな歌手の曲名で、辞書を引いて必死に何度も理解しようとした。自分の信念を貫く為に、こう信じてるって強く思うことで勉強だったり仕事において軸となる何かを持てたと思う。


でもrelationshipにおいてもaffirmできてるのかな?relationshipって怖さのportionがすごく大きくて、時にcontentmentより勝り、ブレーキがかかる。


ほとんど会話のなかったとこから、大好きになった人がいる。時間を一緒に過ごすなかで、目に見えるように好きになっていく様子がわかった。久しぶりの感覚に嬉しくもあり、怖さを感じ始めた。


I believe you cannot appreciate a real love ‘til you’ve been burned” - affirmation 


帰国してからまだ経験できていない”being burned”。思い通りにいかなくても、何かを得ることが出来るんじゃないかなっと考えながら、新しい年のスタートラインに立とうと思う。


written by mA

#1 These Are The Days

 ぼくの好きな「Ally McBeal」というドラマのファーストシーズンの最終話で、アリーの上司である法律事務所の共同経営者ジョンがこんなことを言っている。

 

“If you think back and replay your year, if it doesn't bring you tears, either of joy or sadness, consider the year wasted. ―それまでの一年間をふりかえってみて、うれし涙も悲し涙もでないのはその一年を無駄にした事だってことだ”

 

 このエピソードをはじめて観たのは高校生の時だったけど、東京で働くようになってから毎年仕事納めの日にこの言葉を思い出す。自分を“よくやったじゃん”とねぎらってあげられるだろうか。今年の目標だったアンガーマネジメントもできてただろうか。

 

 暴動が起きるのも、ネガティブなコメントをインターネットに書き込むのも、頭に血が上っているからだ。でも、人間は洋服を着て理性的にふるまってはいるけれどもそもそも生き物で、そのときどきで感情に振り回されたっていいとぼくは思う。

 

 人間関係もそのひとつ。ぼくは今年の終わりに大好きな人ができて、しばらくあきらめようと思っていた感情のふたをもう一度開けてみることにした。怒ったり悲しんだりするのはエネルギーがいる。20代とは違って、どんな時でもエネルギーいっぱいとはいかない。だからこそ、その力を注ぐことを、ぼくはその好きな人にもしてみてほしいと思う。

 

 トライ&エラーでも、時には感情に振り回されても、一年が終わるときこれでよかったと思えるように精いっぱいやってみる。恋愛も、お仕事も、自分磨きも。それが、毎年のことながらぼくの野心です。

 

Written by M