Pick One
平日、ずっと家にこもって仕事をする毎日がはじまって早9か月。こんなに長くは続かないだろう、すぐに終わるだろう、元に戻るだろうと思っていたのに、この生活がすでに普通になりつつあることにびっくりしているし、いまだに順応できていない自分は適応能力がどんどんなくなってきているなあと感じることがある。
何かを変えたい、と強く渇望していない状態というのは、別の言い方でいえばぬるま湯だけれども、人生は痛いことから逃げるものでもない。自分を幸せにすることもゴールの一つだけれど、じゃあ寒くて眠れない夜がないことが良いことなのかはそれも違うのではないか。
ネガティブな人に意識を持っていかれないことー強い人というのは鈍感な人じゃなくて、いろんなことを気にしているほど時間がない人のことかもしれない。車に乗るようになって、今までと違う高さと視点で外の世界を見るようになって、今まで自分が封印してきたいろんなこと(時間がない、お金がない(なくなるのがいや)、自由でいたい)と思ってきたことを思い返して、選択肢を多く作っておくことがゴールだったことを思い出した。
選択肢からそろそろ何かを選ぶ時が来ているのかもしれない。
変化
変化を楽しむ人生でありたい。
この数ヶ月このことが頭から離れなかった。今の環境下において、色々と生活のあり方を考える時間があったからかもしれない。
もちろん、生活に不満がある訳ではなく、むしろやっと落ち着いた生活を送れている日々に満足感を感じる。
ただ、人生にはまだまだ感じたことのない、楽しさがあって、それを可能な限り経験したいという気持ちが日に日に強くなっているのを感じる。単純に老いなのかもしれない。
いつも行くスーパーを変えてみる、ジムを別のジムに行ってみる、こんな些細なことさえも億劫になってしまっていることに疑問を抱き始めた。
やってみて違ったなら、また元に戻せばいい。それを吸収するだけの余裕はあるはず。
この変化を大切な人と共用出来たら、きっともっと楽しいんだろうなっと思う。
同じように考えていて欲しい。
while you can
”いつか望みはかなう”
コマーシャルに大量生産されるその空虚な文句は、”いつか”、”いつか”と人びとにお金を使わせるためのコピーでしかないと18歳のころに気づいてから、”いつか”という言葉が大嫌いになった。身を引きはがされるような負荷をかけないと、生活は変わらないし、自分自身をも変えることはできない。
そんな僕が、いまは、”いつか”を信じないといけない日々に陥っている。
モバイルデバイスがなく、ネットワークもない時代なら、朝陽が上って日が暮れるのを川沿いで見て、夜になったら家族でご飯を食べて寝ていたのかもしれないが、現代人はそうはいかない。
しかし、なんでも制限なく手に入り、どこへでも行けた日々を思い返してみると、”こうしておけばよかった”と思って後悔するのが本当にばかばかしく思えてくる。なぜなら、その日にしか出会えない人、見えない景色、ケミストリーのようなものがあって、それを味わうために人間は生きているような気がするから。
いつかという大嫌いな言葉を毎日考えて過ごしている。911のあと世界は変わって、”いつか”という日は来ないと世界中の人は知ったと何かの記事で読んだ。僕のいつかはいつ来るんだろうか。
いつか、と、その日の切れ目を、僕は一生忘れないと思う。
沢山のこと
ふと一年を振り返る機会があった。
楽しいこと、チャレンジを感じること、我慢を感じることなど
間違っていたことも沢山あって反省したいこともいっぱいある。
自分なりに苦労しながらも頑張ってきたと思いたい。仕事であっても、プライベートであっても。
色々なことを思いながら、ふと思うのは、少し疲れた。
良い時だけでなく、そうじゃない時も思いやりを持ちながら暮らしていきたいっと感じる毎日だった。
それができないと、何のためのものなのかわからなくなるきがするから。
そんなことを感じるのは自分に正直になれてるからかと思う。とっても大事なことなのかと。
Good Luck
”ここに住んでいる間にとても良いことがたくさん起きました。ありがとうございました。”
オーナー代理にそんなメールを年末に書いた。
何気なく書いたものだったけれど後日「すごくうれしかった」と言われた。内覧して一目見て、ここに住もうと決めた。僕にとってこの3年間は、人生のとても重要な時間で、ある意味人生が大きく変わるきっかけになった。新しい友達ができて、良いキャリアをつくって、さらに人生を一緒に歩みたい人に出会った。新しい家を選んだのも、同じブランドのマンションで、幸運をそのまま持ち込みたかったというのもある。
最終日、部屋を掃除していたら、新しい家が見えた。とってもとっても長いようで、短かった3年間。たった3年間でいろんなことが変わる。だとすると、これからの3年もわくわくするようなことがたくさん起きるかも。幸運だと自分を信じることで。
20years
飛行機で降り立ったこの街は、20年前これから始まる沢山のことを想像もしていなかった自分が初めて来た街だった。
勉強もスポーツでも特に目立つこともなく、これという特技もなかった当時の自分にこんなチャンスが訪れるとは思わなかった。
この街の湿気と香辛料の匂いはそんな当時の自分を思い出させてくれた。
滞在していた数日間ずっと考えていた。
何がこの20年で変わったのか。
学ぶことの楽しさを知った
世界は時に広く、狭くもあるっと知った
人を好きになることも
全てが今の充実した日々を作ってくれている。
好奇心と行動力
20年変わらない自分が好きなattributes
少しは身についたかな?
謙虚な気持ちと、突き進んで行く姿勢を忘れずに毎日楽しみながら過ごせる一年にしたい。
Lost In Translation
”金曜の夜 僕たちはワインを飲んで酔っぱらって
夜中の2時になったとき、この人にプロポーズしようと決めた”
大好きな歌手の大好きな歌の一節。その歌はこんな歌詞から始まる。
”このアップルはずっと好きになれなかった なぜなら大きすぎて手におえなかったから”。ちなみに、このアップルっていうのは、ニューヨークのこと。大都会。
バックストリートボーイズのAs long as you love meっていう曲があるけど、僕はこの歌詞をちゃんと英語で理解できていない。日本語にすると、”君が僕を愛する限り”。
なんだかそんなのやだな、と思う。好かれているうちしか相手を愛さないなんてそんなのやだな。損得勘定みたいで。でもたぶんここに込められているのはそういう意味じゃないんだろうなっていうことはわかる。
"Freedom's Just Another Word For Nothing Left To Lose"。これはまた別のシンガーの歌の一節。自由っていうのは何も失うものがないこと。つまりこうだ。失いたくないものができると、人は不自由になる。身動きがとりづらくなる。でも明日死んでしまうとしても、勝手な行動をせず平穏に1日を終えようと思うなら、たぶんきっと失いたくないものが自分が死んだ後もある人だ。
自分が大好きだったポップカルチャーも、10代の自分におけるコノテーションの最大値と、こうして30代になったときに感じる意味が大きく違うことがある。でも、分からないものはわからないままで、きっとそこの違和感こそが自分の個性とか、こだわりっていう形で見えてくるんだと思う。
ポップカルチャーといえば、今年はとっても面白いことが起きた。大好きな人と、20年前のポップカルチャーで夜通し盛り上がれることだ。夜中の2時に、ワインを飲みながら。
こんなこと、ずっとずっと起きるはずがないって思っていた。