No Place Like
東京にやってきて何年目かの誕生日に、家族からメールが来た。
「いまあなたの周りにいるのはたったひとりで東京に出て行って出会った人たちなんだよね。そう思うとすごいことだよね」
実をいうとぼくはどうしても東京に出てきたかった人ではないので、この街に夢を抱いては特段いなかったのだけど、暮らしてみると、それまで生まれ故郷でいつもやってきた、今いる場所と違う場所を思い描きながら日々を生きる、という歪んだ自己防衛本能のような技術が要らないことに気づいて(別名:部屋にポスターを貼らなくても生きていける理論。この話はまた別途)、東京が自分に合っているかもしれないと思うようになった。
人間の感情は不思議なもので、comfortableな状態に気づきにくい。フラットな状態を当たり前だと思い、痛みが出て初めて何かがおかしいと騒ぎ始める(pain is the warning that something’s wrong)。
だから、普段生きていてほかの場所へ行きたい、逃げ出したいと思わない場所というのはぼくにとってはある程度生きやすい場所なのだというのは今まで生きてきた中でわかったことのひとつ。
とってもひねくれた控えめな、この街が大好きだなあと思うのは、“なんとも思わない”状態で毎日を生きていることに気づくときだったりする。